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日経平均が1739円も下がった日に、日本郵船の株価は上場来高値を更新しました。中東の緊張が運賃を押し上げる、と報道されています。でも、戦争や紛争のニュースを見て「海運株を買おう」と思う人は少数派のはず。なぜ地政学リスクが海運会社の利益に直結するのか。今日はその仕組みを、旅の途中の船を追いかけるように追ってみます。
海運会社は「船を持っている会社」ではなく「運賃で儲ける装置」
海運会社と聞くと、多くの人は「船をたくさん持っている会社」を想像します。大きなタンカーやコンテナ船を所有して、それを動かして運賃を受け取る。半分は正解ですが、本質は違います。海運会社の利益は「船を何隻持っているか」ではなく「運賃がいくらか」で決まるのです。船は工場の機械のようなもので、運賃はその機械が生み出す製品の価格。工場の価値は機械の台数ではなく、製品がいくらで売れるかで決まります。
では、運賃はどう決まるのでしょうか。基本的には他の商品と同じで、船のスペース(船腹)の供給と、荷物を運びたいという需要のバランスです。船がたくさん余っていれば運賃は下がり、船が足りなければ上がる。ただ、船というのは陸の工場と違って、すぐに増やしたり減らしたりできません。新しく船を造るには数年かかり、古い船を廃棄するのも簡単ではない。だから、ちょっとした需要の変化で運賃が大きく動くのです。
つまり、海運株を買うということは「船会社の経営力を買う」というより「運賃という商品価格の変動に賭ける」ことに近い。ここを理解すると、今日の逆行高の意味が見えてきます。日経平均が急落したのは、半導体関連株への利益確定売りが主因でした。でも、海運株にとっての「商品価格」である運賃は、株価全体の雰囲気とは別の要因で動いている。中東情勢がその要因です。
ここで「運賃が商品価格」と言いましたが、もう少し身近なものに置き換えてみましょう。海運会社は、船という「箱」を貸し出す不動産賃貸業に似ています。アパートの家賃は、立地や広さよりも、周辺の需給で決まります。部屋が余っていれば家賃は下がり、入居希望者が殺到すれば上がる。船も同じで、荷物を積みたい荷主が多く、船が足りなければ運賃は上がる。つまり、海運株は「船のオーナー」というよりも「運賃という家賃収入」に投資するのに近いのです。
中東リスクが運賃を押し上げる3つの経路
中東で何かが起きると、なぜ運賃が上がるのでしょうか。主な経路は3つあります。1つ目は航路の変更です。スエズ運河やホルムズ海峡が危険になると、船は遠回りを強いられます。例えば、紅海を通れなくなった船はアフリカの喜望峰を回ります。距離が長くなれば、同じ船で運べる荷物の量が年間で減る。つまり、実質的な供給が減るのです。供給が減れば、運賃は上がる。
2つ目は保険料の上昇です。危険な海域を通る船には、高い保険料がかかります。戦争保険や特別保険が加算され、船会社のコストが増える。このコストは運賃に上乗せされます。さらに、危険を避けて航路を変えると燃料費も増える。こうした追加コストが全て運賃に反映されるのです。
3つ目は船の供給不足です。リスクが高まると、一部の船会社はその海域への配船を止めます。船を出したくない、あるいは乗組員の安全を確保できない。すると、市場に出回る船の数が減り、船腹不足が深刻になります。運賃は需要と供給で決まるので、供給が減れば価格が上がる。これが海運株の逆行高を生む直接のメカニズムです。
この3つの経路は、同時に進みます。船はスエズ運河を避けてアフリカを回り、保険料を上乗せし、危険海域への配船を減らす。すると、運賃は三重に押し上がる。ここで重要なのは、これらがすべて「供給側」の要因だということです。需要は変わっていなくても、供給が細っただけで運賃が上がる。つまり、荷物を運びたいというニーズが増えなくても、輸送ルートの混乱だけで船会社の収入は増える。この点が、地政学リスクと海運株の関係を理解する上で、最も押さえておきたいポイントです。
過去の有事で海運株はどう動いた? スエズ運河封鎖と紅海危機の教訓
歴史を振り返ると、地政学リスクによる運賃上昇は一時的で、その後は供給過剰が効いてくることが多いのです。1967年の第三次中東戦争では、スエズ運河が8年間も閉鎖されました。タンカーは喜望峰経由を余儀なくされ、運賃は急騰。海運会社は大儲けしました。しかし、その後、運賃が高いのを見た船会社は競って新造船を発注。1970年代半ばには船が余り、運賃は暴落しました。
もっと最近では、2023年末から2024年にかけての紅海危機です。イエメンの武装勢力による攻撃で、多くのコンテナ船がスエズ運河を避け、喜望峰経由に切り替えました。上海コンテナ運賃指数は急騰し、海運株は大きく上昇。しかし、その後、新造船の供給が相次ぎ、2024年後半には運賃が急落しました。船会社は高運賃の間に大量の船を発注していたのです。
つまり、地政学リスクによる運賃上昇は、短期的には株価を押し上げますが、中期的には船の供給増を招き、運賃を押し下げる。この繰り返しが海運業の歴史です。投資家はこのパターンを知っておく必要があります。今日の日本郵船の最高値も、過去のパターンに照らせば「ああ、またか」という反応が正しいのかもしれません。
このパターンは、海運業に限らず、あらゆる「供給が硬直的な産業」に共通します。半導体も、製造装置のリードタイムが長く、すぐには増産できません。だから、ちょっとした需要の変化で価格が乱高下する。しかし、半導体と海運の違いは、海運の場合は需要が世界の貿易量に直結している点です。つまり、地政学リスクが世界経済を冷やせば、運賃上昇の恩恵もやがて剥がれ落ちる。過去のスエズや紅海での出来事は、その「醸成→暴落」のサイクルを如実に示しています。海運株を買うということは、この歴史の振り子のどの位置にいるかを見極める行為にほかなりません。
運賃はどこまで上がる? 見るべき指標は「コンテナ運賃指数」と「用船料」
海運株の行方を占うには、運賃の先行指標を見るのが有効です。代表的なのはコンテナ運賃指数で、特に「上海コンテナ運賃指数(SCFI)」は毎週発表され、世界のコンテナ運賃の動向を示します。また、ばら積み船の運賃を表す「バルチック海運指数(BDI)」は、鉄鉱石や石炭などを運ぶ船の需給を反映します。これらの指数が上昇に転じると、海運会社の業績改善期待が高まり、株価が反応するのです。
もう一つ、知っておきたいのが「用船料」です。船会社は自社で船を持つだけでなく、他社から船を借りて運航することもあります。この借船料が用船料で、市場の需給を敏感に反映します。用船料が上がるということは、船が足りないというシグナル。逆に下がるのは、船が余っている証拠です。海運株の本格的な上昇は、通常、用船料の上昇が先行します。
今日のニュースでは「中東緊迫で運賃上昇の思惑」と伝えられていますが、実際に運賃指数や用船料が上がり始めたのか、それとも「思惑」だけなのかを区別することが重要です。思惑だけで株価が上がることもありますが、実需が伴わなければすぐに失速します。海運株に投資するなら、ニュースの見出しだけでなく、運賃指標の動きをチェックする習慣をつけましょう。
具体的な数字で見てみましょう。SCFIは、上海発のコンテナ運賃を指数化したもので、2020年のコロナ禍では1,000ポイント前後から5,000ポイント台まで上昇しました。これは、同じ船で運ぶ費用が5倍になったことを意味します。一方、今日の日本郵船の株価は6,784円で、1年前から36%上昇しています。しかし、PBRは0.879倍と、まだ1倍を割れています。つまり、市場は海運会社の「含み損」や「将来の運賃下落」を織り込んでいる可能性がある。運賃が上がれば業績は改善するが、株価がそれに追いつくかは別問題。指標を見る目が試されるのです。
運賃が下がる時は「船が余る」という構造:発注残と解撤のバランス
運賃が上がると、船会社は「もっと船を造ろう」と思います。新造船の発注が増え、数年後に大量の船が完成します。ところが、その頃には地政学リスクが解消され、航路が元に戻っているかもしれない。すると、市場に船が溢れ、運賃は急落する。これが海運市況のサイクルです。発注残(建造中の船の量)が増えているか、古い船の解撤(スクラップ)が進んでいるかを把握することが、将来の供給を読む鍵になります。
現在、世界の新造船発注残は歴史的高水準にあると言われています。特にコンテナ船は、2021年から2022年にかけての高運賃時代に大量の発注が行われ、2024年から2026年にかけて竣工が集中。つまり、たとえ中東情勢で運賃が一時的に上がっても、その後には大量の新造船が市場に投入される可能性が高い。この供給圧力が、運賃上昇の持続性を疑わせる要因です。
一方で、環境規制の強化により、古い船の解撤が進む可能性もあります。国際海事機関(IMO)の排出規制により、燃費の悪い旧型船は運航コストが上がり、解撤が加速するかもしれません。供給の増加と減少、どちらの力が強いか。発注残と解撤のバランスが、数年後の運賃を決めるのです。海運株を長期で見るなら、この構造を頭に入れておく必要があります。
ここで「船が余る」という構造の怖さを、アパート経営で例えてみましょう。家賃が高いと大家がこぞって新築を建てます。ところが、完成した頃には景気が悪化し、入居者が減っている。部屋は空室だらけ、家賃は暴落し、借金だけが残る。海運の新造船もこれと同じで、発注から竣工まで2〜3年かかります。その間の市況は誰にも読めない。しかし、高運賃の時に一斉に発注するのが人間の常で、完工時に供給過剰が起きる。2023年から2024年の紅海危機でも、運賃上昇の裏で新造船の発注が急増し、2024年後半の暴落を準備していたのです。
ニュースで海運株を見るときの3つのチェックポイント
最後に、今日のようなニュースを次に見たとき、どこをチェックすればいいか。3つのポイントを挙げます。1つ目は、運賃指数が実際に上がっているか。ニュースの見出しではなく、SCFIやBDIなどの数字を確認する。2つ目は、発注残の動向。船会社が新造船を大量に発注していないか。発注が増えていれば、将来の供給過剰を警戒する必要があります。
3つ目は、地政学リスクの持続性。今回の中東緊迫は、数週間で終わるのか、数カ月続くのか、それとも年単位の混乱になるのか。リスクが長期化するほど、船の迂回と運賃上昇が続きます。ただし、長期化すればするほど世界経済への悪影響も大きくなり、荷物の需要が減るという逆効果も出てきます。
つまり、海運株の逆行高は「運賃という商品価格の上昇」への期待で動いています。地政学リスクはその引き金に過ぎません。本質は、船腹の需給バランス。供給が絞られる局面では運賃が上がり、海運株も上がる。しかし、その高い運賃が新造船を呼び込み、いつか供給過剰に転じる。このサイクルを知っていれば、ニュースに振り回されずに、自分の頭で判断できるようになります。



